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滝ともはるの横浜歴史散歩 

横浜の歴史は?

横浜は室町時代の1442年(嘉吉2年)の文献に『横浜村』として描かれていたのが初出といわれています。横浜という名前も「横」に長くのびた「浜」から『横浜』という名前が付いたと言われています。

ペリーが来た頃の横浜は百人前後の半農半漁の貧しい人が住んでいたといわれています。新しい街つくりが始まり、強制退去された村人たちが移り住んだのが元町、それから日本の歴史でも珍しい大きな変化が横浜に起こりました。そんな歴史の痕跡を歩いて調べると驚くほどの出来事が見えてきました。

最新の歴史散歩
■慶応の街・日吉
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​東急東横線の日吉駅ができたころは畑に囲まれたのどかな田園風景が広がっていました。宅地開発のために慶応大学を誘致したところから日吉の発展が始まり、今やあこがれの高級住宅地に変化しました。

■浦賀ペリー上陸の地(久里浜)
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1853年ペリーは突然浦賀沖に現れてアメリカ大統領の親書を幕府に渡す交渉を始めました。4隻の黒船が鎖国日本を大きく変えたのです。そして現在の浦和はのどかな歴史の街になっていました。横須賀のすぐ先にある浦賀にはのどかな「浦賀の渡し」があり、久里浜には巨大なペリー上陸記念碑がありました。

■元町から山手へ編

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​元町はペリーが来て横浜を開港した時に追い出された横浜村の住人が移住した町です。本当の浜っ子はこの人たちだけかもしれませんね。外国人墓地にはワシントンに桜を植えたシドモアさんも眠っていました。

■神奈川宿再び編

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​ペリーが開港の場所として目を付けたのが神奈川湊。今の青木橋から東神奈川のあたりの東海道の神奈川宿があったところです。幕府は神奈川の開港の約束をしましたが、横浜村も神奈川と言い張ったところから横浜の発展が始まりました。

■神奈川宿青木町編

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神奈川宿には幕末外国人が領事館などを設けたところから俄然歴史のスポットライトがあたりました。医者で宣教師のヘボンさんがお寺に住み込んで無料の病院を作りました。彼の作ったヘボン塾には明治時代に大活躍をする人たちが多く学びました。

■神奈川宿の旅館街台町編

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​坂本龍馬の奥様「おりょう」さんが、竜馬が暗殺された後、勝海舟の紹介で働いていた料亭「田中屋」があります。ここ台町は遠くに富士山を眺める景勝地として有名で、江戸に入る前の宿場として人気があったそうです。

■金沢八景編

入り組んだ湾が美しい風景を作りました。歌川広重の作品で有名になった「金沢八景」を求めて旅人滝ともはるが旅をします。明治の政治家伊藤博文の別荘や、終戦直前に作られた戦闘機の避難壕など見所たっぷりの金沢八景です。

■金沢文庫編

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金沢文庫は金沢北条家の図書館だった。そして今の金沢区役所がある泥亀地区はかつては入り江で、江戸時代に埋め立てられたものでした。平安時代に作った極楽浄土を地上に再現した稱名寺の庭園は時を忘れる美しさに、呼吸をするのを思わず忘れてしまいます。

■横須賀旧海軍・追浜編

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横須賀市の追浜地区はかつて海軍航空隊があった日本海軍の重要な軍事基地でした。そして広大な海軍技術廠と言われる研究所兼工場がありゼロ戦などはここで作られました。そして悲劇の予科練もここが発祥地でした。

■横須賀軍港巡り編

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基地の町横須賀は軍事秘密だらけで暗い街、というイメージが吹っ飛びました。アメリカ海軍と海上自衛隊の基地を船で巡るツアーがあり、米原子力空母のロナルドレーガンが目の前に出現、さらに潜水艦やイージス艦も出現しました。

■横須賀どぶ板通りと戦艦三笠

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横須賀の街を歩くとまず電柱がないことに驚きます、旧海軍からの遊郭や米軍下士官兵のクラブが戦後ジャズ発祥の地としてフランク・シナトラも慰問に訪れたそうです。さらに三笠公園にある戦艦三笠が素晴らしい状態で保存されているのに驚きました。

■東京湾唯一の自然島「猿島」
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横須賀には東京湾唯一の自然島、そして無人島の猿島という島があります。東京湾が一番狭くなった地域ということで、首都の国防の第1線としてここに秘密基地が作られました。外からは見えない砲台と地下に伸びた地下壕が終戦後の70年で真逆の癒しの空間として今や若者に大人気。

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